東京地方裁判所 昭和29年(ヨ)4020号 決定 1955年7月19日
申請人 直井喜夫 外一組合
被申請人 東京出版販売株式会社
主文
申請人らの申請を却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
理由
第一、当事者の求める裁判
申請人らは「被申請人が昭和二十九年四月十九日申請人直井喜夫に対してなした解雇の意思表示の効力を仮に停止する。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、被申請人は主文第一項同旨の裁判を求めた。
第二、申請人直井喜夫の申請について
一、申請人直井が昭和二十六年六月以来書籍雑誌の取次販売を目的とする被申請人会社の従業員として雇われていたこと、申請人直井は被申請人に採用される際履歴書を提出するにあたり、昭和二十二年三月一日日本通運株式会社(以下日通と称す)に雇われ同二十五年九月三十日依願退職した前歴があり乍ら、これを祕匿し、却つてその間関東工業株式会社及び宇都宮物産合資会社に雇傭されていた旨虚構の事実を履歴書に記載し、その経歴を詐つたこと、並びに、被申請人は右の事実が同社の就業規則第五十二条第二号に所謂「重要な経歴を詐り、又は詐術を用いて採用されたことが判明したとき」に該当するとして昭和二十九年四月十九日申請人直井に対して懲戒解雇の意思表示をなしたことは当事者間に争いない。
二、申請人直井は右の解雇の意思表示が無効であると主張するので、その無効理由として主張する点につき順次判断する。
(一) 申請人直井は申請人東京出版販売株式会社従業員組合(以下単に申請人組合という)の組合員であるところ、本件解雇は申請人組合と被申請人との間に昭和二十八年十一月二十日締結された労働協約第九条に違反して行われた無効のものであると主張する。申請人直井が申請人組合に所属していた事実、申請人組合と被申請人との間に当時有効であつた労働協約第九条によれば、会社は組合員の解雇については事前に組合と話合いの上決定することとなつていた事実については当事者間に争いがない。
然しながら、疏明によれば、被申請人は申請人直井に対し解雇の意思表示をなすにあたり昭和二十九年四月十三日会社総務部長が申請人組合の三役を招き、役員会が申請人直井に対し依願退職を勧告している事情を話し同月十五日さらに申請人直井が勧告に応じないので会社役員会において懲戒解雇することに決定した旨申請人組合に告げてその諒解を求めたが申請人より取消の要請もあつたので役員会で重ねて検討の上その要請に応ぜられぬことに決定し、四月十七日その旨右三役に伝え、なお右三役の申出に基き右解雇発令に先だち四月十九日これを組合三役に正式に通知した事実が認められるから本件解雇は右条項に違反するものでなく申請人組合と誠実に話合つたものということができる。
よつて、この点の主張は理由がない。
(二) 申請人直井は本件解雇に適用された就業規則は労働協約に違反して制定されたものであるから無効であると主張する。
前記労働協約第二十八条第三十二条によれば事業の円滑なる運営と民主化を図るため被申請人と申請人組合との間に同数の委員をもつて構成する協議会が設けられ、「諸規定の制定改廃」、「賞罰に関する規定の制定の改廃」は協議会に上程すべき事項とされており、更に、同第三十四条によれば「この協議会に上程した議案中相互に諒承したものは成文の上実施するものとする」とされていることは当事者間に争いなく、疏明によれば、被申請人は右協約の有効期間(昭和二十九年八月二十日まで)中たる昭和二十八年十一月二十七日協議会に上程することなく本件就業規則を制定した事実が認められる。しかしながら、元来、就業規則は使用者が労使関係を組織づけ秩序づけるために一方的に制定するものであるところ右協約の前記各条項によれば被申請人は就業規則を制定するについて、協議会の諒承を得べき旨の協約上の義務を負担したものと解するのが相当であり、協約によつて被申請人の右権限を排除し、協議会の諒承なくしては制定又は改廃をなし得ないものとした趣旨と解することはできず、他にそのように解しなければならないことの疏明もない。
してみれば被申請人が協議会の諒承を得ることなく本件就業規則を制定したことは申請人組合に対する協約上の義務違反の余地を残すに止まりそのことの故に本件就業規則が無効のものということはできない。その上、疏明によれば、本件就業規則制定後、被申請人は昭和二十八年十一月二十七日その原案三十四部を申請人組合の執行委員長に手交し申請人組合の意見を求めたところ、検討期間として一ケ月の猶予を求められたのであるが、その一ケ月を経過しても申請人組合からは具体的意見が表明されなかつたので所定の手続に従つて届出をなした事実が認められ、申請人直井の主張する被申請人が申請人組合の意見を求めた際、両者の間で本件就業規則制定に関し当時懸案の労働協約改訂審議と共に審議するということが約された事実についてはこれに符合する疏明は信用し難く、他にこの事実を認める疏明はないから、被申請人が著しく信義に反して制定したものとも言えないのである。
よつて本件解雇が右就業規則を適用したからといつて無効となるものではない。
(三) 申請人直井は本来懲戒解雇は就業規則に基くものであるから懲戒事由が労働契約の解除原因として、個々の労働契約の内容となつていなければ懲戒解雇をなし得ないと解すべきである。然るに本件就業規則は申請人直井と被申請人との間の労働契約締結以後に制定されたものであるから、右就業規則の定める懲戒事由は解除原因として労働契約の内容とはなり得ない筋合である。従つて本件就業規則の規定に基いてなされた懲戒解雇は無効であると主張する。
而して本件就業規則が申請人直井と被申請人との間の労働契約締結以後である昭和二十八年十一月二十七日制定されたものであることは前記(二)認定のとおりであるが労働者が信義に反する所為をもつて使用者と労働契約を結び、使用者の企業内に入り来つた場合就業規則によつて懲戒事由が定められていなくともこれをその企業から排除するため解雇することが許されるのであつて、これは信義則によつて支配される労働契約の本旨にも合致するものというべきであるから右の所為が後に制定施行された就業規則に規定された懲戒事由にも適合する限りこの就業規則を適用して懲戒解雇をなすことは何等差支えないものといわなければならない。
よつて、この主張は採用できない。
(四) 申請人直井は就業規則第五十二条第二号に所謂「重要な経歴」とはその経歴が秘匿されなかつたならば採用されなかつたであろうことが明白に判断できる程度に重要であることを必要とし且つ明白であるとの判断が解雇時においても正当視されなければならないのであるが、申請人直井が前記日通から退職したのはその企業自体の要請ではなく占領軍当局の指令により所謂「レツドパージ」として日本国憲法労働諸法規の保護をも受けることなく行われたのであつて、日通が申請人直井を退職せしめたことは憲法違反であり、この憲法違反の「レツドパージ」でその職を失うに至つた者と判れば採用しなかつたであろうということ自体現在許されない考え方である故、結局採用されなかつたことが明白であるとはいえず、又採用されないこと明白という判断が解雇時に社会的に正当視されないものであると共に、一方、被申請人は申請人直井を採用するに際しその経歴を充分に調査しないで採用しているから、被申請人は申請人直井採用に関しその経歴を重要視していなかつたと認められ、この点からも採用されなかつたことが明白である「重要な経歴」とはいえないし、しかも、そもそも「重要な経歴」の詐称を解雇事由とするのは労働契約が労働力の売買契約であることに基き、労働力が低いのに高いように詐つて売買し、使用者の買つた労働力にその期待していたところと質的な差異があつた場合、契約解除をなすことができるということに唯一の合理的根拠が、求められるものであるところ、申請人直井の経歴詐称は労働力に質的な差異をもたらすものではなかつたから、この点からも「重要な経歴」というに当らない、と主張する。
しかし、経歴詐称が懲戒事由となる所以は右申請人直井主張の如き趣旨からばかりではなく、その経歴を秘匿したという所為の不信義性に基くのである。即ち、使用者からその従業員としての採否を決定するためその全人格的価値判断の資料の提出を求められている場合その資料の一つである前歴を秘匿してその価値判断を誤らしめたという不信義性が懲戒事由とされるのである。それ故申請人直井主張のように労働力の差異のみが着眼されるのではない。
ところで本件においては申請人直井が前記のように日通に在職していた事実を秘匿し、故ら他の会社にその間在職していたという虚偽の履歴を記載することは極めて不信義性の高いものであり、しかも労働者が以前如何なる企業に雇傭され、如何なる理由で退職しているかということは、その後に同人を雇傭するか否かを審査決定する使用者にとつて、その採否を決定するにつき一般に極めて重要な事実であつて、これを秘匿することにより当該使用者の採否に関する価値判断を誤らせる虞があることはいうまでもない。而して、疏明によれば、被申請人は申請人直井を採用するにあたりその履歴書に記載されたところを信じ、それ以上には経歴を調査しようとしなかつた事実が認められるのであるが、この一事だけで被申請人が労働者の経歴を採否決定の価値判断の資料としていなかつたとは断ずることはできない。そして申請人直井がレツドパージで退職したからといつて日通に雇傭せられていた事実が採否決定についての使用者の価値判断を誤らせる虞あるものではないということはできない。
以上の次第で、申請人直井の秘匿した経歴は就業規則前記条項の「重要な経歴」に該当する。
更に、申請人直井は当時「レツドパージ」になつたことが判明すれば、就職は全然不可能であつたので、生活にも困窮し万策つきてその経歴を秘匿して被申請人に採用方を申出たのであるから、この行為は自己の勤労の権利生存権を守るために止むを得ずになした行為であつて、これを秘匿せざるにつき期待可能性がなかつたのであるから減給譴責にとどめるべき情状にあつたとも主張するのであるが、申請人直井の前記経歴の詐称は極めて不信義性が高度でこのことによつて解雇されてもやむを得ない事由と考えられるから就業規則の右条項但書によつて軽減しなければならない場合には該らない。
よつてこの点の申請人直井の主張は採用できない。
(五) 申請人直井は本件解雇は懲戒解雇に名を藉り申請人直井の従来の組合活動を理由としてなされたもので不当労働行為であると主張する。
しかして、疏明によれば申請人直井は昭和二十七年九月二十六日申請人組合の執行委員文教部長に就任し、それまで休刊中であつた申請人組合の機関紙「へさき」を再刊し、同年十二月には書記長に選任され、同年末の定期昇給問題に関して被申請人と交渉し、同二十八年一月には出版取次販売業各社従業員組合の連絡提携を強化せんとし、同年三月に再び書記長に選任され、組合事務所の設置、組合専従者の獲得、青年婦人部の結成等に努力し、同年八月被申請人の同業者、日本出版販売株式会社の従業員組合大阪支部の争議に際しては申請人組合としての支援活動に活躍し、更に、同年秋には労働協約改訂のためその組合案作成に参画し、その後はこの問題について被申請人と交渉に当ると共に、同年末には定期昇給の問題も加つて、再三にわたる被申請人との団体交渉に当つていたことが認められるのであるが、以下に述べるように本件解雇が右組合活動の故になされたとすることはできない。
申請人直井は次の事実は不当労働行為意思を推認せしめるものであると主張する。即ち、被申請人は従前から申請人直井がかつて日通に在勤していた事実を知りながらこれを不問に附していたのに拘らず、これを理由として本件解雇に及んだのであるから申請人直井の組合活動が活溌であつたがためであつて、本件解雇の挙に出る以前から、被申請人が申請人直井に対して差別待遇をはじめ、先づ昭和二十九年二月には申請人直井にその従事していた仕事を小笠原某に引きつぐように命じ、その後は仕事が与えられず、事実上仕事を取り上げられてしまい、遂に同年三月末申請人直井が会社業務で出張している間に事前に何らの内示もなく突然に九州出張所転勤を発令した。折から申請人組合の執行委員として労働協約改訂の交渉に当つている申請人直井に対する右転勤命令は組合運営上支障があるので申請人組合としてはその撤回を申し入れ、その交渉の最中に申請人直井に対し経歴詐称を理由として本件解雇を発令したのである。しかも、その際はこの転勤命令に関する事実は全然理由としなかつたのに拘らず、本件申請事件に至つて答弁を求められるや、被申請人は懲戒解雇事由の一つとして申請人直井は転勤命令を拒否したから、これが就業規則第五十二条第三号「職務上の指示命令に従わず職場の秩序を紊し又は紊そうとしたとき」に該当すると主張した。これは何とか表面的な理由をつけて申請人直井を解雇せんとする被申請人の意図のあらわれである。また、被申請人は従来から組合活動をきらい、申請人直井のみならず申請人組合の役員及び活溌な組合採動をなす者を差別待遇し、あるいは、これに対しいやがらせをして来たが、特に顕著な事例として、井上昭子の事例がある。同人は青年婦人部の初代副部長であり、また、コーテス部の主軸であつたが故に、被申請人の前身旧日本出版配給株式会社に勤務開始以来七年間タイピストとしてタイプ業務に従事し来たにも拘らず、昭和二十九年五月二十一日本人として全く未経験の算盤を主体とする業務関係に移動を命ぜられた。また、申請人組合自体に対しても同年四月乃至五月には第二組合の結成を支援し、これが発足してからは、ますます申請人組合を弾圧し、申請人組合の申し入れる団体交渉に対しても申請人直井がこれに参加するの故をもつてこれを拒否し、また、前記日時以降社内の掲示なども許可しない等種々の圧迫を加えている。
このように主張するのであるが、申請人直井主張の被申請人が経歴を知了していたという事実についてはこれを認むべき疏明なく、却つて、疏明によれば昭和二十九年三月乃至四月初旬申請人直井の所属していた地方雑誌販売課に新に就任した課長が所属課員に職員カードを記入させた結果、申請人直井のカードからその学歴に不審な点を発見し、調査をすすめたところ学歴には詐称はなかつたが、更に、同人の経歴の一つである衞生管理者資格試験合格という点につき宇都宮労働基準監督署に照会したところ、日通在勤中にその資格を取得したことが判明し、この時はじめて経歴詐称の事実を発見したという一連の事実が認定できるのである。更に、疏明によれば、申請人直井に転勤を命ずるに至つたのは、当時九州出張所に欠員が生じ、その補充要員として年令、家族関係の点も考慮し地方雜誌販売課で出張所業務を担当していた申請人直井を適当と認めて発令したのであり、当時は申請人直井は申請人組合の執行委員ではあつたが、その任期は昭和二十九年四月迄で残余一ケ月に足りない程度しかなかつたし、労働協約組合案起草者も他に三名本社に残ることになつておりしかもこの転勤は約九十三名にも及ぶ大異動の一環であつたことが認められるから、申請人直井の主張するように必ずしも全く不適任な転勤を命ぜられたと断ずることはできないのは勿論申請人直井に対する格別の差別待遇とも考えられないし、特に組合活動を低調ならしめんとしての挙と断定することもできない。一方井上昭子の問題も疏明によれば、同人はタイピストとしてではなく事務員として雇傭されていたのであつて当時被申請人は広汎な人事交流を行う方針をとつていたことが認められるから、人事管理の面において最適な措置でなかつたとしても差別待遇の意図を以つてなされた配置転換と認定するに足る疏明はない。申請人直井に対し全く仕事を与えられなかつたという疏明は信用できないし、その他被申請人が組合を嫌忌し組合役員らに対し差別待遇をしていたことについては充分の疏明がない。
ただ被申請人が申請人直井の解雇理由の一つとして転勤拒否の事実を本件申請事件において主張したことについては、疏明によれば申請人直井が主張するとおりこの事実をも懲戒解雇の事由となしていたとは認め難く、被申請人は本件手続が開始せられてから附け加えたものと考えざるを得ない。しかし、申請人直井の経歴詐称の所為が解雇に値する事由であることに照らしてみると、右のように被申請人が後に至つて転勤拒否を懲戒事由として附加した事実を考慮に入れても、さきに認定した申請人直井の組合活動の事実が本件解雇の決定的原因であつたとするには充分でなく却つて右経歴詐称を本件解雇の決定的原因と認めざるを得ない。
よつてこの主張も理由がない。
三、以上のように、申請人直井が、本件解雇の意思表示が無効であるとして主張するところはいずれも理由がない。
したがつて、申請人直井の本件仮処分申請は失当である。
第三、申請人組合の申請について
申請人組合は申請人直井がその所属組合員にして副委員長であると主張し、同人に対する前記解雇の意思表示の無効を主張し、これが確認請求を本案としてその効力を停止する仮処分を申請するのであるが、労働組合はその所属組合員の解雇無効確認を求める訴訟について一般に当事者適格を有せず、したがつて、その保全訴訟についても当事者としての適格を欠くから、その余の点を判断するまでもなく申請人組合の申請する本件仮処分申請は不適法である。
第四、以上の理由で申請人らの本件仮処分申請はいづれも却下すべく、申請費用の負担については民事訴訟法第八十九条に則り主文のとおり決定する。
(裁判官 西川美数 綿引末男 三好達)